奥沢文庫

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2016年 08月 11日

中野坂上で石元泰博の シカゴ/東京/桂 を観た

なんと云っても、桂の古書院が面白い。

桂離宮・御殿のインテリアは古書院 → 中書院 → 新御殿と増築のたびに饒舌になる。例えば、古書院の床の間は
寂しく控え目だが、中書院ではクランクしながら3つが絡み、新御殿では2つが背中合わせの抜き差しならない関係
になる。欄間もまた次々に変化する。そのようなことから、古書院のインテリアは穏やかで、つまり面白味に欠け
るから、なかなか写真になりにくい。

そんな古書院の1枚は、はしらを境に左に「一の間」、右に「囲炉裏の間」の構成。

普段は閉まっている襖が開放され、「囲炉裏の間」越しにその先に続く中書院の縁側へと視線が抜ける。「囲炉
の間」はバックヤードに当たり、言わば要人を警護するSPの詰所。石元は桂の中で最も長く見通せる場所を発見し、
バックヤードである「囲炉裏の間」をあえて取り込むことで元来が地味な古書院に命を吹き込んだ。
f0091854_22180618.jpg
ところで石元は同じ構図を二度撮影している。左は1960年、石元が39才の時、右は1981年、60才の時。

60年のものは天井まで光がまわり、床の間の金泥模様がキラキラと輝く。桂では、池面に反射した光が室内の奥まで
直接届くことがある。また、四方八方からやってくる光は乱反射しながら室内を巡り、明暗のグラデーションを生み
だす。
石元は、その明暗の戯れが最大化する瞬間を切り取った。
大小様々な光の粒が泡立ち、まるで、インテリアが沸騰しているかのよう。
饒舌なこの写真は、おそらく夏の炎天下に撮られた。
全てが覚醒し、祝祭性、奥行き感が強い。

対して、81年のものには明暗のグラデーションが殆どない。縁側の雨戸は閉められ、余分な外光は遮断されている。
室内は均一な明るさにより抽象化され、奥行きを失う。
石元は、その抽象度が高まりインテリアが最も寡黙になる瞬間を切り取った。
明暗が隅々まで抑制され、まるで二次元の絵になったかのよう。
静謐なこの写真は、おそらく冬の夕暮れ時に撮られた。
全てが鎮まり、謹厳性、フラット感が強い。

20年という時間をおいて、石元が全く異なる写真を残していることは興味深く、同じ桂がこうも違って見えることに大い
に驚く。どちらが本当の桂なの?とは野暮な問い、あらためて写真表現の奥深さを知らされ、同時に、このような表現を
招じる桂離宮にあらためて感嘆する。






by motoki8787 | 2016-08-11 22:43 | 見た・観た・聴いた | Comments(2)
Commented by E男 at 2016-08-12 13:05 x
僕自身、3月初旬に桂離宮を初めて拝観したばかり。
しかし見ることができたのは外観と庭園のみで残念ながら内部は見ることができなかったので実にタイムリーな記事だった。

記事全体の印象は、読みやすい文章に貴君らしいちょっとおしゃれな表現が散りばめられていてなかなかの名文だと思う。

さて、ここからは桂離宮の古書院という建築的視点から少し離れて二枚の写真について述べたい。

僕は石元さんという写真家を知らない。
しかし桂離宮での撮影を二度までも許可され、貴君が取り上げるのだから高名な写真家なのだろう。

どちらの写真が好きかと問われれば、美しい間接光と心地いい陰影が印象的で立体的な60年の写真が好きだ。

それに対して81年はまったく陰影がなく平面的で現実感に乏しい写真だと思う。

ここからは推理なのだが、60年の写真を見ると手前の板の間に影と光があるので床の間と柱の間には襖があり、60年では開けられているが81年では閉じられているのだと思う。

夏に撮影された60年では、離宮全体の建具が開け放たれていて「古書院」を素直に「作品」として撮った。

それに対して、81年では「一の間」を引き立たせるためには「面と線」のシンプルな構図が必要だった。
そのため「一の間」に設置した照明が囲炉裏の間を照らさないように襖を閉め廊下も雨戸を閉めた。
その結果、明るい「一の間」と「その他の暗い部分」というシンプルな構図になり視線を「一の間」に誘導することに成功した。

一人の写真家が同じ位置から撮った写真が、これほど違うという事は撮影の目的そのものが違ったのだろうと思う。

60年の写真は勢いに乗った39歳が撮った「作品」であり、81年の写真は、それから20年を経て熟練の域に達した60歳が「一の間」をテーマとしてクライアントの要請に応えるべく計算ずくで撮った「写真」なのではないだろうか。
Commented by motoki8787 at 2016-08-14 11:42
そう、その通り。床の間と(最も手前の)柱の間には引き違いの襖があり、それが開閉されていたのです。

石元康博は(商業写真家じゃないので)クライアントの要請に従って撮影することはないような気がします。
なので、撮影の目的があったとすれば、再撮影の機会を得て何ができるか自分を試したかった、から?又は、桂を自家薬籠中のものにしたかったから?などと思います。
もっとも、前作を上書きして変えてしまうのは作家の性分かもしれません。

ところで、自信作の建物を壊して更地にして、もう一度同一条件で設計したら、どんなことになるのかなあ?とふと思いました。



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