奥沢文庫

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2016年 06月 07日

脇町見物

徳島の脇町(重要伝統的建造物保存地区)を見物した。

脇町は徳島を東西に横断する吉野川の河岸段丘に栄えた町。街道が交わる交通
の要衝であったこと、吉野川の舟運があったことから戦国時代には城が築かれ、
江戸中期以降は藍玉(藍染めの原料)の集散地として賑わった。

訪れた日が日曜日、夕方だったからか、町はひっそりと静まり時間が止まって
いた。その静けさの中、観光地に堕ちることを拒んでいる強い意志のようなも
のを感じ、気付けば気分が江戸時代にタイムスリップし、背筋が伸びていた。
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保存地区には東西に真直ぐ伸びる長さ400mの「通り」があり、その両側には伝統
工法による商家、倉、民家が建ち並ぶ。
この「通り」には起伏があり、中央付近が2m程高い。そのため、東端から「通り」
の全貌を見通すことはできないが、西へ歩くにつれ、その先の町並みが徐々に
視界にあらわれ景色の変化が楽しい。「通り」を何度往復しても飽きることがなく、
脇町景観の大きな魅力の1つである。

建物はよく保全されている。また、無分別な商業主義を封印したのだろう、土産物
屋が見当たらないことはとても好ましい。

保存地区の南側は崖であり、高さ6m程、往時の石垣ヨウ壁が連続して残っている。
現在、堤防が築かれ河川敷は遠のいているが、かつての吉野川は、この石垣の足
元を流れていた。脇町は川湊(かわみなと)として舟運を司さどり、多数の帆掛け
舟が出入りした。
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司馬遼太郎は「街道をゆく32(阿波紀行)」の冒頭で「阿波の国のよさは脇町に尽き
るのではないか..」と書いている。司馬は町の有力者と立ち話をした。

脇町の人達は、手っ取り早く楽な道(観光産業)が結局は町の体力を消耗させる怖さ
を知っていたから、そこに身を委ねることはなかった。このことは、脇町が教育に熱心
な土地柄であることと無関係ではあるまいが、司馬はこの土地に培われた矜持に触れ
て思わず感激し、先の言い回しに到ったのだろう。

脇町は小さな町だが、目には見えない大きな力に守られた町である。
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by motoki8787 | 2016-06-07 23:35 | 風景・街あるき | Comments(0)


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