2012年 02月 29日
会津でサザエ堂を見物した。サザエ堂は「異形の建築」として建築史 の系譜の片隅にひっそりと咲く「徒花」のようなもの。 案内板に貼られた1枚のポスターに目が奪われた。 このポスター、 子供達がチャンバラ遊びに興じ、まるで農村芝居の一場面のよう。 サザエ堂はその舞台の書割りとして妖しげに建ち、どことなく虚ろで ある。背中合わせの女の子2人の所作も定まらず、不思議な気配に 満ちている。 さて、サザエ堂。入口をくぐりスロープをグルグル右巻きに3回転 上ると頂部に到り、そこから今度は左巻きに下る。つまり、ダ・ヴィンチ が考案したあの「二重螺旋」と同じ構造である。駆け足で巡ると1分も 要しない、小さな小さなお堂。 江戸時代には、スロープに沿って「西国33ヶ所観音霊場(近畿のお寺)」 の観音様(小さな模刻像)33体が鎮座し、会津からわざわざ西国へ 行かずとも、このお堂をお参りすることで西国33ヶ所の巡礼が成立 した。 お堂をグルグル廻ることだけで観音様のご利益を頂戴できれば、これ ほど便利なことはない。また、「二重螺旋」という世にも不思議なカラクリは たちまち噂として広まり、民衆は興味をかき立てられ奇異なカタチに歓声 を上げた。その中には、「異邦人ダ・ヴィンチがこのお堂を監修した。」という、 まことしやかな話しを信じた者もいただろう。驚くことに、各々の観音像 にはコインの投入口があり、つまり「お布施集金システム」がちゃんとあった。 つまり、この場所は「信仰」の心より、どちらかと云うと「商(あきない)」の 魂に支配されていた。誤解を恐れずに云えば、サザエ堂は、観音信仰に 乗じ、民衆の心を大いに煽った興行的な「見世物小屋」だった。 そう ! これがサザエ堂の正体かもしれない。 さて、明治の廃仏毀釈以降、サザエ堂は廃寺の道を辿り、33体の観音様 もどこかへ散逸してしまった。今は主役が不在の「もぬけのカラ」。寺として、 お堂としての営みが中断され、入れ物だけが放置された。ポスターの虚ろ な印象は、この辺りに起因すると考えてよい。 ポスターの考案者は、往時のサザエ堂の正体を見抜いた上で現在の様子 を直視し、この(扱いにくい)会津の観光資源を1枚の紙の上に見事に焼き 直した。 現代のサザエ堂を端的によく表わし、単なる観光ポスターであることを超え ている。正直なところ、実物のサザエ堂よりもこの1枚のポスターを身近に感じ、 幾多の解説文、論文より今はこの1枚を眺めている。 (これだからJRのポスターには気が抜けない。) だからと云ってサザエ堂の建築的魅力が減じるわけでは決してない。なん と云っても、巻貝の「シェル(曲面)構造」を強引に「軸組構造」に置換した訳 だから、それだけでも拍手喝采。当時の大工が頭をヒネリにひねったこと だけは間違いなく、その無謀なまでのトライアルは皆に元気と勇気を与えて くれる。 サザエ堂は、何より形態が素頓狂(すっとんきょう)で愛らしい。このお堂に 「すこやかな強さ」があるとすれば、その理由は案外ここにある。きっとこの 「徒花」は会津の山中で今後もしたたかに生き永らえることだろう。 追補 ところで、サザエ堂と同じプログラムは現代でも身近にあり、例えば、ご当地 ラーメンが集合する「ラーメン博物館」、百貨店催事場での「全国駅弁大会」、 そして国家プロジェクトの「万国博覧会」など。 これらを支配する雰囲気はサザエ堂と同じで「お手軽な利便性」、「お気軽な 娯楽性」、そして「商業主義的な祝祭性」。 そう !! サザエ堂はこれら現代のビジネスモデルのハシリかもしれない。 . . . . . . . . . .
by motoki8787
| 2012-02-29 22:09
| 建物雑記
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