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2026年 03月 18日
かつて、明治の初め頃だろうか、猿沢池のそばに「萬玉楼」という置き屋があった。 その建物が今は料理屋「まんぎょく」として営まれていることを、随分前に知人から 聞いていた。
翌朝、浄瑠璃寺へ向かう予定だったため、前日に奈良へ入り、夕食を「まんぎょく」 でいただくことにした。「まんぎょく」は、観光客の喧騒からほんの少し離れた町屋 の一角にひっそりと佇んでいる。 住所は奈良市元林院町。わずか50m四方ほどの 小さなエリアだ。
![]() メニューは和洋が混在しており、場所柄やや意外に思ったが、どれもこの店に古く から伝わる料理なのだろう。「鶏皮と牛蒡の和え物」が私には珍しく、印象に残った。
テーブル同士の間隔は広く、BGMもない。店内には静かな時間が流れていた。遠く のカウンター席からは、地元の常連客らしい談笑がかすかに聞こえる。 おそらくこの 店が満席になり、騒がしくなることはないのだろう。
この落ち着いた空気を思い返し、もう一度、訪れてみても良いと思った。 #
by motoki8787
| 2026-03-18 18:54
| 食べた・飲んだ
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2026年 02月 23日
浄瑠璃寺は京都の南、かつての山城之國、奈良県との県境近くの山あいに建つ。山号・小田原山は、この周辺の低い丘陵一帯を指し、浄瑠璃寺はその中の谷地に建つ。湧き水があり、小さな池に水を湛えている。建立は平安後期、境内は浄土式庭園として作られている。
何より驚いたことは、辺鄙な風景の中にとび切りの浄土世界が隠れていたこと。遠くから塔が望めるわけでも、大きな楼門があるわけでもない。この場所の風景は、おそらく建立当時と変わらず、伽藍は丘陵の山襞にひっそりと姿を隠している。そんな様子から、ここはプライベートビーチのように限られた人達のパラダイス(浄土)だったような気がする。そう感じるほどの特別感がここにはある。
小さな山門から境内に踏み込むと、目の前は湧水池。この池を挟み、東の「三重の塔(薬師如来)」と西の「仏堂(阿弥陀如来)」が向き合い、その距離は約60m。塔は少し高い位置から仏堂を俯瞰する。この2つは東西の軸線に載り、起伏に囲まれた谷地の中で互いを牽引している。
浄土式庭園の中でも、このように規模が小さくコンパクトに整った例は珍しい。例えば、奥州平泉の毛越寺はあまりの広さに、どうしてもそこに浄土を想像することが難しい。ところが、ここでは全貌が一度に視界に入り、浄土世界の関係(現世と来世)が手に取るように分かる仕掛けだ。この点、あまり言及されていないが、浄瑠璃寺は浄土式庭園を知る上で最も分かり易い教材と云える。
![]() 浄瑠璃寺は、九体の仏像が並ぶことから「九体寺」(くたいじ)とも呼ばれる。仏堂は横長で軒の高さは低い。ふくよかな平安仏像(阿弥陀如来)が蓮華の台座に載り、横一列に整列している様子は壮観だ。その足元が暗いからか、まるで宙に浮かんでいるようにも見える。手に届くほどの阿弥陀如来が圧倒的な量感で迫り、自身が巨大な厨子に迷い込んだような錯覚を覚える。
ところで、浄瑠璃寺は一体、誰が建立したのだろう。史料が乏しく不明らしいが、体制側(皇族や貴族)ではなく、地元の有力者が私財を投じたような気がする。彼は、当時流行していた浄土信仰に傾倒し、領地内にあった湧水池を発見し、資力に見合った小さな浄土世界を作り上げた。仏師も事前にこの地を訪れ、きっと嬉々として造仏したに違いない。
浄瑠璃寺は戦乱の世を幾たびか、凌いできたはずだ。また、落雷による火災の危機もあっただろう。そして、最後の危機は言うまでもなく明治新政府が誘導した廃仏毀釈だったが、運よくこれも切り抜け、今こうして私たちの目の前に無傷の状態で残っている。この偶然には感謝しかない。
訪れた日は12月の晴れた早朝だった。周りが丘陵なので境内の空は狭かった。ところが池の水面が鏡になり、空を映し込んでいたことを覚えている。まるで地面にポッカリと深い穴が空いたように見え、今にして思えば、あれは浄土への入口だったのかもしれない。次に訪れる時は、是非、覗き込んでみよう。
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by motoki8787
| 2026-02-23 10:12
| 風景・街あるき
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2026年 01月 10日
遅ればせながら伊勢を参拝した。 明治に発令された神仏分離令(法律)は、奈良時代から続いていた神仏習合の文化 (日本が育んできた文化)を白紙に戻した。 この法律は、「国家体制を強化する。」という思想のもと、廃仏毀釈を 誘発し、有形無形を見事なまでに消滅させた。伊勢はこの体制の象徴とされ、 その役目を今も一筋に担い続けている。 だから、伊勢への参拝には抵抗があったが、そんな伊勢路で特産品「あおさ」 に出会った。学名を「ヒトエグサ」という。どの「道の駅」にも、乾燥したもの が山のように陳列されていた。 ![]() 「あおさ」は熱を加えると色鮮やか、水で戻すとあらゆる料理に応用が効く。 その意味で、この奈良時代からの特産品は多芸多彩でたくましく、神仏習合の ありさまと重なった。 「体制に一途」の伊勢の地にも、民衆の食生活に根ざした産物があることを知り、 そこに暮らす人々の営みに想いを馳せた時、気持ちが少し和らいだ。 (‥‥とはチョッと大袈裟か) #
by motoki8787
| 2026-01-10 17:55
| 食べた・飲んだ
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2025年 11月 10日
下北半島の郷土料理の「いか寿司」 ![]() 寿司と云いながら、飯粒に替え、キャベツ、イカゲソ、生姜、 人参の酢漬けを詰めている。「まるでザワークラウトそのもの」 と言いたいところだが、ドイツのそれを食したことがないので、 確かではない。 ドイツの伝統的な発酵食品が、なぜ下北半島に飛び火したのか。 各地の寿司文化のさまざまに、興味が尽きない。 #
by motoki8787
| 2025-11-10 19:06
| 食べた・飲んだ
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2024年 10月 20日
一般的に食卓の高さは約70cmだから、三島の鰻屋「桜屋」の高さ64cmは新鮮です。 しかも、その高さに椅子の背もたれがきちんと揃い、店内に特別感が漂います。 「桜屋」の鰻が変わらず美味しい理由の一つに、この高さがあります。 ![]() #
by motoki8787
| 2024-10-20 10:08
| デザイン
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