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奥沢文庫

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2024年 04月 11日

まんまるグラス3兄弟

今から8年前、まんまるグラス(松岡ようじ作)を購入

球体に近いシルエットは潔い。

私は、若い頃からメガネもまんまる主義を貫いている。


ところが先日、このグラスを割ってしまい、意気消沈。

そこへ、松岡ようじから展示会の案内が届いたから、これ幸い、

迷わず会場へ走り、勢いあまり3つを購入

まんまるグラス3兄弟_f0091854_21205107.jpg

左が8年前のもの。

右は3つの中で最も球体に近く、これを長男とした。


3兄弟は共通して240g前後。

ダイエットが奏功し、8年間で25%ほどの減量に成功している。

長男は飲み口がflatで、均整の取れた優等生。

次男は右肩を上げて怒り肩、少々気難しいけど心根は優しい。

三男は背伸びしてチューリップにならんとし、大らかなヤツ。


計測することでデザインの違いが擬人化された。

3兄弟はまだ若いから、この先を仲良く暮らしてほしい。

まんまるグラス3兄弟_f0091854_21303432.jpg






# by motoki8787 | 2024-04-11 21:35 | デザイン | Comments(0)
2022年 08月 09日

奈良・長谷寺へ(観音様のショーケース)


長谷寺の創建は奈良時代。その後、火事と再建が繰り返され、現在の本堂は9棟目、

1650年、徳川家光の寄進による。平均すると100年ごとの建替え。そして、御本尊

の「十一面観音」も焼失と復活を繰り返し、現在のものは8代目。なんという執念

だろう。名刹の中でもこの甦生の回数は一二を争う。


不死鳥のように蘇る長谷寺は、伊勢神宮との関係抜きには語れない。中世に本地

垂迹説が広まると、伊勢神宮の祭神「天照大神」は「十一面観音」とされた。だか

らか、江戸の終わりまで「伊勢参り」と「長谷参り」はセットだった初瀬街道

が両者を結び、互いに牽引したのだろう。それが証に、「十一面観音」左には

小さな「雨宝童子」(うほうどうじ=天照大神16歳の化身)が寄り添う。

が廃仏毀釈を免れたのは、このような背景があったからだろう。

奈良・長谷寺へ(観音様のショーケース)_f0091854_10033512.jpg

「日本建築の空間」(S D選書・井上充夫)には、「礼拝する対象(仏像)は、時代

が下ると共に後ろへ遠のく。」とある。長谷寺・本堂の変遷は不明だが、現在の間

りはその「遠のいた結果」の(日本一の)典型だろう


歴代住職は、寺の繁栄を願っていた。誰かが「観音さま」の権威付けを思いつき、

から引き離すことにした。「観音さま」は建替えのたびに遠のき、しかし、そのこと

で民の信仰心はますます強くなり、寺は賑わった。だから、この思いつきは大当たり

だった。


こうして、堂内に奥行きが生じ、幾重もの空間が連なった。それぞれの空間(内々陣、

内陣、外陣、相の間、礼堂、舞台)にはスペースに応じた架構が組まれ、「観音さま」

のショーケースが威風堂々、完成した。


ご本尊「十一面観音」は、いちばん奥の特等席で、まるで箱入り娘のように微笑んで

いる。



# by motoki8787 | 2022-08-09 10:19 | 建物雑記 | Comments(0)
2022年 05月 17日

別冊・太陽 小さな平屋に暮らす





作家・庄野潤三(1921~2009)邸を取材、実測しました。久しぶりのことでした。
庄野邸は、築62年の木造平屋建て。驚くほど当時の様子がそのままでした。作家
と家族の団結がこの家を守ってきました。家族の「住まいへの向き合い方」に脱
帽です。

恥ずかしながら、庄野潤三のことは全く知りませんでしたが、初めて、代表作
「夕べの雲」(1965年)を読み、すぐにファンになりました。日々の生活が淡々
と、しかし生き生き語られ、この作風は誰かに似ているなあ・・と考えるうちに、
吉村順三の穏やかな作風が重なりました。奇を衒うことなく、ごまかしがなく、
「当たり前」の丁寧な積み上げ。

「平屋の家は、庭との関係を抜きには語れない。」と今回は庭の実測にも挑戦。
雑木林状態だったので、すったもんだでした。樹木の名前が未だに言い当てられ
ず、これはもう(人生)間に合いません。
別冊・太陽 小さな平屋に暮らす_f0091854_09355758.jpg

当初、実測図に「夕べの雲」情報を詳細に書き込み、この代表作の「手引き図」
にしようと考えました。というのも、「夕べの雲」は庄野邸を舞台とし、家や庭
の描写がたくさん登場するからです。・・が、これは紙面の都合で見送りに。

いつか、古舘伊知郎の実況ナマ中継的・実測図を完成させたいものです。

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# by motoki8787 | 2022-05-17 13:36 | お仕事 | Comments(1)
2022年 04月 19日

京都・大原・三千院

少年の頃、TVから流れる「女ひとり」(作詞;永六輔、作曲いずみたく、1965年)
を聴きました。

♪ 京都 大原 三千院 恋に疲れた女が一人・・ 

何度か聴くうちに、この出だしが耳に残り、いつの間にか大原とは三千院のこと
だと思うようになりました。そして、それはつい最近まで。

ところが‥実はコレが大間違いだったのです。

大原に古くからあるお寺は三千院ではなく、図中の赤い卍印の3つのお寺です。
つまり、「勝林院」「来迎院」「往生極楽院」。この3つとその支院は、まとめ
て「大原寺(ダイゲンジ)」と呼ばれ、地名のオオハラはここに由来します。
京都・大原・三千院_f0091854_17483870.jpg

建は平安時代。中でも、参道の突き当たりの「勝林院」は、今は貧乏寺です
が、江戸末期までは有力寺院で、(BS番組によると)小さな土蔵は宝物で溢れて
います。


で、三千院は、と云えば、明治になり大原に割り込んできた新参者だったのです。

三千院は門跡院(皇族が住職を務める寺)ですから資力があり、その境内は、群
を抜いて広い。境内にある小さなお堂「往生極楽院」の「阿弥陀三尊像」は迫力
十分の国宝です。しかし「往生極楽院」はもともと独立した寺院だったところ、
三千院に乗っ取られ、併合の憂き目にあいました。

「三千院」はおそらく跡目争いに忙しかったのでしょう、平安時代からその屋号
と場所を何度も変えました。相続問題と度重なる引越しに疲れ、ようやく京都の
奥地に辿り着いたのかもしれません。

だとすれば、その様子はまるで「恋に疲れた女」ではありませんか!三千院の悲
哀がこの歌に重なり、今はこの歌をシミジミ聴いています。

大原には他に「寂光院」があります。斜面地に建つ小さな尼寺は手入れが行き届き、
まるで箱庭のよう。ここは建礼門院(壇之浦・安徳天皇の母)が余生を過ごした
ところ。

Discover Japanの頃、大原には若い女性が押しかけ、あそこはミーハー向け(と
いうと怒られる)の観光地と決めつけましたが、今は、鄙びた風景の中に、その
歴史の息づかいを(これまたシミジミ)感じている次第です。
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# by motoki8787 | 2022-04-19 20:50 | 風景・街あるき | Comments(2)
2022年 04月 09日

白石晟一のこと

BSで白井晟一の番組を見ました。渋谷・松濤美術館の展覧会に合わせ、放送され
たもの。

番組の中で、藤森照信が「白井は人をたぶらかせるのが上手だった。自身を神格
化するのも上手だった。」と解説。ドキッとするぐらい失礼な云い方ですが、し
かし藤森さんはズバリ、白井晟一の本質を衝きました。そして、「その振る舞い
こそが、実はモダニズムへのアンチテーゼだった。」と続け、(ちゃんと)白井
の存在意義を称えました。

白井建築は、西洋古建築のモチーフを編集した私小説。ところが、その寄せ集め
方に手法、関係性を見つけることが難しく、従って、作品を評することが難しい
のです。性急に「あれは、ハリボテ」と喝破する人もいるぐらい。さすがの藤森
さんも作品そのものに言及できず、「振る舞い」を炙り出すだけで精一杯でした。

実は学生時代、「神格化された白井」にすっかり心酔してしまった。いとも簡単
にたぶらかされ、「白井建築にあらずんば建築にあらず」状態でした。白井親分
と一方的に盃を交わし、設計製図の課題では粛々と親分の流儀に従いました。
白石晟一のこと_f0091854_19080077.jpg
これは学生時代の課題「オフィスビル」。当時、白井が佐世保に完成させた親和
銀行(懐霄館)の影響を受け、というより、そのマンマを焼き付けたのでした。
マッコト恥ずかしく、汗顔の至りです。

今思い返すと、白井建築に惹かれていたのではなく、白井の難渋な哲学的言説に
溺れていました。「難しく深淵な世界を背景に持つ建築こそ、格調高く美しい。」
と勘違いしていたのです。コルビジェ、ライト、ミース、カーンなどには目もく
れず、もっとも多感な時期にもっとも偏狭・偏屈な白井世界に溺れ、まったくも
って迂闊でした。

卒業後、鈴木恂先生のアトリエに入所し、すぐにこの幻想世界から目覚めました
が、今でも白井を引きずっていることが1つだけあります。

かつて白井は「眼球は球体であるから、その球体に添えるレンズのカタチは真円
こそがふさわしい。」と真円メガネを推奨し、他のデザインを退けました。こ
の考え方には今でも賛同でき、学生時代から長く、真円メガネを愛用しています。

身に着ける服飾品にはいつも悩みますが、こと眼鏡に関しては、今後も「かつて
の親分」の教えを忠実に守ります。


# by motoki8787 | 2022-04-09 19:11 | デザイン | Comments(0)