奥沢文庫

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2018年 08月 15日

能登の「間垣(まがき)」

能登半島は北に突出する印象だが、実は上半分が大きく東側へ傾いている。その
内側(南東)は富山湾を囲み、海は穏やか。対して、反対側(北西)は風が強く、
季節を問わず海には白浪がたつ。とりわけ冬は大陸から季節風が猛烈に吹き降
し、海は荒れ狂う。このような厳しい気候風土、海沿いの集落にはどこから伝わ
ったのか、古くから生活を守る夫があった。

輪島の南西約10Kmに大沢集落、上大沢集落がある。季節風のあまりの強さに、防
風林が育たないのだろう、「間垣(まがき)」という高さ5mほどの工作物(防風
垣)が集落を囲み、独特な景観をつくる。屋根が隠れてしまうから、もし沖合か
ら眺めると城壁の連なりのようにも見え、日本の風景としては珍しい。

「間垣」には杉丸太と、近くに自生するニガタケが利用される。丸太を地面に建
(掘立柱)、そこに横桟を架け渡しニガタケを葺く。「間垣」は住戸ごとに作
れるから骨の組み方はいろいろだが、表側から見ると高さは揃い、連続面を形
する。
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根元の直径、僅か2cm程のニガタケは一列に並ぶが、隙間から風が通り抜ける。
また、穂先の密集する頂部は揺動して強風を漉し取る。つまり、「間垣」は風
遮断するものではなく、そのエネルギーを柔らかに抑える仕掛けと言える。

隙間のない防風壁の場合、風下に渦巻きが生じ風が滞留し、また気流の剥離がよ
り強い強風部分を生み出すという。一方、「間垣」のように隙間のある場合、風
速が大幅に減じることはないものの、風速が一定程度減少する領域が広範囲に生
まれるようだ。

小径のタケを利用した防風垣は、台風直撃を受ける九州地方でも畑作地を守る目
的で作られるが、高さが5mにも及び、集落そのものを囲むものは、能登の「間
垣」の他に見当たらない。

ニガタケは3年に一度、杉丸太は10年に一度の更新を要する。このような短期間
の更新、しかも手仕事による更新を前提とするインフラストラクチュアは、今の
時代、あからさまに遠される。しかし、「間垣」の文化的景観としての価値は
高く、長く存続してほしい




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# by motoki8787 | 2018-08-15 16:30 | 風景・街あるき | Comments(0)
2018年 06月 05日

二風谷へ

ここ数年、アイヌ文化のことが気になっているところ、
白老アイヌ民族博物館が閉館と聞き、3月末、北海道へ。

行程を調べ上げたところで、二風谷(ニブタニ)を思い出し、
急遽行き先を変更。二風谷は「沙流川」(サルガワ)上流20km
の奥地にあり「アイヌの聖地」と呼ばれる。
交通機関の乗り継ぎがすこぶる悪く、朝5時に起床して現地着
16時30分だから、なるほど観光客が少ない。

二風谷には町立・「二風谷アイヌ文化博物館」があり、小さいながら
その展示は充実している。
博物館スタッフ製作の「平取町文化的景観解説シート」(1500円)
はずっしり重く150ページ、アイヌ文化を生き生きと紹介している。
(町営の小さな温泉宿も気持ち良い。)
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博物館の裏には、「沙流川」を堰き止め、遺跡を沈めたダムが広がる。
ダムは雪解けにより満々と水をたたえているように見えるが、地元の
人によると水面の直下には大量の砂が堆積し、深刻な状態らしい。
水面がコーヒー牛乳のように見え、胸中がざわついた。

「沙流川」(サルガワ)はアイヌ語に由来するが、その響きと共に、
充てられた漢字のなんと涼しげなこと。かつての清流を想像すると
ダム湖の姿はあまりに悲しい。

和人の目論見は恥ずかしいほど、見事にハズレていた。



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# by motoki8787 | 2018-06-05 22:08 | 見た・観た・聴いた | Comments(1)
2018年 03月 18日

つる瀬・むすび梅

湯島の和菓子屋・つる瀬の「むすび梅」(オコワ)のこと。

上にチョコンとのる小梅(梅干)が天満宮の梅の実かどうか分からないが、宮城

県産もち米の間には北海道産・大粒の大豆がゴロゴロ入り、中央には甘辛い切り

昆布が挟まる。諸国から食材を呼び寄せ、手のヒラにのるオコワにまとめてしまう、

というなんとも日本的な趣向。

つる瀬は包装のカタチにもこだわりデザインしたが、フラットに展開して初めて
「ああなるほど、こんなカタチをしてたのか」とさりげなく、この手間取りも
また、日本的。

関西にも同様があり、大阪・絹笠の「とん蝶」がそれらしい。関西の趣向はどん
なだろう。

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# by motoki8787 | 2018-03-18 20:42 | 食べた・飲んだ | Comments(0)
2018年 01月 21日

新幹線の座席(300系)

東海道新幹線(300系・1992年以降)の3人掛け座席

真ん中の座席は両側に比べ幅が少し広い。その寸法は僅か3センチだが、
こういうところでの3センチの効果は大きい。また、目の前の背もたれ幅は
7センチも広く、視覚的な広さによる効果も見逃せない。
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「中央席は窮屈だ」という問題を取り上げた設計者(技術屋)の良心を経営陣
(事務屋)が理解、尊重した結果、実現に至ったのだろう。

航空機の座席ではこのような工夫は(恐らく)ないと思われ、この「思い遣り
デザイン」はいかにも日本らしい。
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# by motoki8787 | 2018-01-21 15:52 | デザイン | Comments(0)
2017年 12月 24日

慈光院へ(天空の書院)

「景観の構造」(樋口忠彦著 技報堂出版1975年)に慈光院の写真(撮影・水島
孝)がある。縁側越しに外を望むその写真は、モヤがたちこめた町と遠くの山並
みを見事に切り取り、まるで一幅の墨絵を見るよう。左手には近景として低く剪
定されたクロマツが写る。

ところが、この景色には中景がない。「借景」の原論を云えば、中景が遠景の山
並みを引き寄せ、景色の繋がりを担保するのだろうが、ここではいきなり遠くを
望んでいる。加えて、その山並みがいかにも遠い。そのような距離感からか、ま
るで雲上に居るような錯覚を覚え、ここはきっと「天空の書院」だ、と思い込ん
だ。

実は学生時代、一度、慈光院を訪れていたがその時の記憶が全くなく、この写真
がいつの頃からか「私の慈光院」となり、長く再訪の機会を窺っていた。このよ
うな写真が撮れる建築はいったいどのような断面、寸法を持つのだろうか。

10月の雨の日、4本の電車を乗り継ぎ慈光院へ向かった。慈光院は、低い丘の崖
淵に建っていた。

書院は東と南の二方向に開き、大きな縁側を持つ。縁側の幅はたっぷり1間あり、
深い軒先が天空を大きくカットし、張り出した縁先と共に景色を低く絞り込んで
いる。縁側はまた、その天井の暗がりによって景色を明るく引き立てる。これは
古建築にお馴染みの明暗のコントラストだが、この書院での効果は群を抜いてい
る。東には奈良盆地と山並み、南には片桐石州の庭を額縁に納め、首を回せば
120度、まるでパノラマ写真を見るようだ。
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注目すべきは広縁の柱のスパン(柱間)が3間も飛んでいること。つまり、隅部
に立つ1本の柱を除き、景色を遮るものがない。京間の3間だから、その寸法は
5940ミリ、ほぼ6mにも及ぶが、これだけのスパンは日頃見慣れない。おそらく
尾垂木(天秤梁)が軒桁を補助している筈、と勘繰ったが見当たらず、僅かh=
80ミリ程度の太鼓梁が架かっていた。

そして、軒の高さがとにかく低い。縁側の鴨居の高さは(書院畳から測ると)
1655ミリしかなく、目の高さに近い。そのあまりの低さに、書院に足を踏み入れ
ると、思わず腰を落とし視線を下げてしまうほど。

採寸を申し出たところ奥から住職が現れ、縁側の幅も測ってみてはどうか、と仰
る。するとどうだろう、縁側(南)の幅が東端で10センチほど広がっている。奥を
絞り遠近を強調する手法には馴染みがあるが、ここでは逆に手前が絞られ奥に広
い。しかし、手掛かりとなる壁がないからか、または僅かな寸法だからか、その
果は殆どなく、住職もこの不思議には頭をひねっていらした。

写真に比べ、町には樹木が出現し中景の役割を果たしていた。ほかに鉄塔、中層
建物が景色に割り込んでいた。景色の変化は続くのだろうが、この書院はこれか
らもその時々のパノラマを撮り続けることだろう。

ほかに、慈光院の庭には軒高さほどの巨大な「大刈込」(オオカリコミ・多種類
の樹木を寄せ植えし量感ある形に刈り込んだもの)があり、これまた見応え十分。



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# by motoki8787 | 2017-12-24 16:17 | 建物雑記 | Comments(0)