2022年 04月 09日
BSで白井晟一の番組を見ました。渋谷・松濤美術館の展覧会に合わせ、放送され たもの。 番組の中で、藤森照信が「白井は人をたぶらかせるのが上手だった。自身を神格 化するのも上手だった。」と解説。ドキッとするぐらい失礼な云い方ですが、し かし藤森さんはズバリ、白井晟一の本質を衝きました。そして、「その振る舞い こそが、実はモダニズムへのアンチテーゼだった。」と続け、(ちゃんと)白井 の存在意義を称えました。 白井建築は、西洋古建築のモチーフを編集した私小説。ところが、その寄せ集め 方に手法、関係性を見つけることが難しく、従って、作品を評することが難しい のです。性急に「あれは、ハリボテ」と喝破する人もいるぐらい。さすがの藤森 さんも作品そのものに言及できず、「振る舞い」を炙り出すだけで精一杯でした。 実は学生時代、「神格化された白井」にすっかり心酔してしまった。いとも簡単 にたぶらかされ、「白井建築にあらずんば建築にあらず」状態でした。白井親分 と一方的に盃を交わし、設計製図の課題では粛々と親分の流儀に従いました。 これは学生時代の課題「オフィスビル」。当時、白井が佐世保に完成させた親和 銀行(懐霄館)の影響を受け、というより、そのマンマを焼き付けたのでした。 マッコト恥ずかしく、汗顔の至りです。 今思い返すと、白井建築に惹かれていたのではなく、白井の難渋な哲学的言説に 溺れていました。「難しく深淵な世界を背景に持つ建築こそ、格調高く美しい。」 と勘違いしていたのです。コルビジェ、ライト、ミース、カーンなどには目もく れず、もっとも多感な時期にもっとも偏狭・偏屈な白井世界に溺れ、まったくも って迂闊でした。 卒業後、鈴木恂先生のアトリエに入所し、すぐにこの幻想世界から目覚めました が、今でも白井を引きずっていることが1つだけあります。 かつて白井は「眼球は球体であるから、その球体に添えるレンズのカタチは真円 こそがふさわしい。」と真円メガネを推奨し、他のデザインを退けました。こ の考え方には今でも賛同でき、学生時代から長く、真円メガネを愛用しています。 身に着ける服飾品にはいつも悩みますが、こと眼鏡に関しては、今後も「かつて の親分」の教えを忠実に守ります。
by motoki8787
| 2022-04-09 19:11
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